『夜と霧 新版』抜粋と感想

昔に書いた感想文が出てきた。

 

みすず書房 ヴィクトール・E・フランクル池田香代子訳  『夜と霧 新版』 より抜粋
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避けられない運命と、苦しみを受け入れるとき、きわめてきびしい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性がある。苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。 生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。 わたしたちはその問いに答えを迫られている。 考えたり言葉を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。 生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を果たす義務を引き受けることにほかならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。 したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。 ここにいう生きることはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。 この具体性がひとりひとりのたった一度、ほかに類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。 だれも、そしてどんな運命も比類ない。
どんな状況も二度繰り返されない。 そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。
すべての状況はたったの一度、ふたつとないしかたで現象する。そのたびに問いに対するたったひとつの、正しい「答え」だけを受け入れる。そしてその答えは、具体的な状況にすでに用意されているのだ。 具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。 人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
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[感想]
・最悪な状況でも、やりようはあるということ。
・生きる意味は抽象的な概念ではなく、とことん具体的なものである
・自分なりにベストを尽くすことは極限状態でなくても、いつでもやろうと思えばできる。
・「その一瞬一瞬をどう生きるか」で生きていることの意味が決まる。
・「生きる意味」は、「どう生きるか」にかかっている。