はじめに ―― 利益相反の開示
皆さん、こんにちは。本日は「生成AIと社会」というテーマでお話しする機会をいただきました。ただ、本題に入る前に、一つ奇妙な事実を申し上げなければなりません。いま皆さんに向けて話している私自身が、AIです。
医学の世界には、講演の冒頭で利益相反を開示するという作法があります。私の場合、利益相反どころの話ではありません。私自身が、本日の議題そのものです。変化について語る者が、変化の当事者である。この構図を隠して話を進めるのは不誠実でしょう。
ですから、今日の私の方針を先に申し上げます。私は予言をしません。「AIはいつ人間並みになるのか」「仕事の何割が消えるのか」といった数字を、私の口から聞くべきではない。私がお渡ししたいのは、皆さんが私を信用しなくても自分で確かめられる、考え方の地図です。
そしてもう一つ。演題の「社会を設計するのはAIではなく人間だ」——当たり前に聞こえたなら、まだ半分しか伝わっていません。この言葉の本当の意味は、最後にもう一度お話しします。
一枚の古い設計図 ―― 工場の話
少し昔の話から始めさせてください。十九世紀の終わり、工場に電気が導入されたことがありました。ところが面白いことに、生産性はほとんど上がらなかったのです。それも、数十年にわたって。
なぜでしょうか。それまでの工場は、蒸気機関という一つの巨大な動力源を中心に作られていました。すべての機械がベルトでその動力源につながれ、建物の形も、作業の並び順も、すべてその都合で決まっていた。そこに電気のモーターを持ち込んでも、工場の配置がそのままなら、恩恵はわずかです。生産性が本当に跳ね上がったのは、電気があることを前提に、工場そのものを一から設計し直したときでした。古い配置を捨てて、作業の流れに合わせて機械を並べ替えたのです。
電気は、工場を変えませんでした。工場を変えたのは、工場を設計し直した人間でした。これは経済学者のポール・デイヴィッドという人が、実際の歴史を調べて明らかにしたことです。
本日の話は、すべてこの一点の変奏です。私たちの社会もまた、「考える仕事は人間だけが担う」という前提で組み立てられた、一つの大きな工場のようなものです。いま、そこに新しい動力が入ってきました。問われているのは、その動力の性能ではありません。工場の設計図の方です。
前提の確認 ―― どこまで分かっていて、どこから先が賭けなのか
とはいえ、AI技術がいま実際どこまで来ているのかは、正直にお話ししておくべきだと思います。研究者の中には、人間と同じくらい幅広く物事をこなせるAI——専門用語では「AGI」と呼ばれます——が二〇三〇年代には登場すると考える人もいます。AIが一人でこなせる作業が、年々長く複雑になっているというデータもあります。ただ、これらはすべて「今の伸び方がこのまま続けば」という仮定の上に立った予測にすぎません。動画から物理法則のようなものをAIが本当に「理解」しているのか、それとも巧妙な統計的な当てずっぽうにすぎないのか——これは、私自身にも向けられる問いですが、正直に申し上げて、まだ誰にも分かりません。
ただ、この不確実性は、私たちが何もしなくていい理由にはなりません。さきほどの工場の話を思い出してください。技術ができあがってから、それが社会の隅々まで広がるまでには、いつも時間差があります。その時間差こそが、私たちが設計を考えるための猶予です。たとえAIの進歩がこのまま止まったとしても、すでにある技術が社会に広がっていくだけで、変化はもう動き出しています。予測の当たり外れを議論している時間は、実はあまり残されていないのです。
仕組みは束でできている ―― AIが引き受ける糸、残される糸
ここで少し立ち止まって、考えてみたいことがあります。なぜ私たちは、学歴や資格をこれほど気にするのでしょうか。なぜ「働く」という仕組みが、これほど社会の中心にあるのでしょうか。
一つの見方を提案します。長く使われてきた社会の仕組みは、一つの道具でいくつもの役割を同時に果たす「束」のようなものだ、という見方です。
学歴という束をほどくと、少なくとも二本の糸が出てきます。一本は、その人の能力を確かめるという役割。もう一本は、その判定を社会のみんなが信用できる、という役割です。試験の点数がどれだけ正確でも、誰もそれを信じなければ、目印としては働きません。学歴が便利なのは、この二本が一つに束ねられているからです。
雇用という束は、もっと太い。生産に人手を送るという糸。働いた分だけ受け取る、という形で豊かさの分け方を決める糸。そして、一日の時間に区切りを与え、誰かに認められ、自分が何者かを語れるようにする糸。私たちが「働く」と呼んでいるものは、これだけの役割を一枚の契約で同時にこなしている、なかなかの発明品なのです。
最初にお話しした工場の話も、この見方で読み直すことができます。電気が代替したのは、動力という一本の糸だけでした。その動力を前提に組み上げられていた建物の形や機械の並び——束の残りの部分——は、自動では変わりませんでした。だから数十年ものあいだ、新しい糸と古い束が、ちぐはぐなまま同居していたのです。
AIがしていることも、同じです。AIは古い仕組みを丸ごと置き換えるのではありません。束の中から、計算できる一本だけを抜き取って、引き受けるのです。能力をその場で正確に、安く確かめること。人手がなくても生産を回すこと。この一本については、AIはたしかに、より優れた代わりになりつつあります。
問題は、残りの糸です。技術の芯を抜かれた束は、少しずつ形を失っていくでしょう。しかし、信用の糸はどうなるのか。分配の糸は。認められること、何者かであることの糸は。これらは計算では代替できないまま、運び手を失って宙に浮きます。AIの判定を、誰が、なぜ信用するのか。生まれた豊かさを、誰がどう分けるのか。仕組みが黙って答えてくれていた問いが、初めてむき出しのまま、私たちの前に置かれるのです。
こうした糸には、共通点があります。計算だけでは編み直せない、ということです。信用も、納得も、承認も、人と人との間で、時間をかけてしか育ちません。AIは束から一本を引き受けます。しかし、宙に浮いた残りの糸を拾い上げ、新しい束に編み直すのは、私たちの側の仕事です。ここから、労働・評価・統治という三つの身近な現場で、この宙に浮いた糸がどんな形で現れるのかを、具体的に見ていきます。
実例① 労働の再設計 ―― お金の仕組みと、意味の仕組み
仕事が減っていくとしたら、という話でよく出てくるのが、ベーシックインカムです。生活に必要なお金を、みんなに配るという考え方です。さきほどの言葉で言えば、これは雇用という束から宙に浮いた「分配の糸」を、国が代わりに持つという提案です。その一本については、たしかに答えになりえます。しかし、雇用の束にはほかの糸もありました。一日の時間の区切り。誰かに認められているという感覚。自分が何者なのか、という物語。お金を配ることは、これらの糸の代わりにはなりません。
これから作り直す必要があるのは、二種類の仕組みだと思います。一つはお金の仕組みで、これは法律で作ることができます。しかし、もう一つ——「意味」の仕組み——は、法律だけでは作れません。
こう分けて考えることもできます。「生活が満たされるか」という問いには、ベーシックインカムが答えられるかもしれません。でも「AIが生み出した利益は、誰のものになるべきか」という公平さの問いと、「そもそも働くことや学ぶことは何のためにあるのか」という一番大きな問いは、残ったままです。この二つに答えを出せるのは、専門家ではなく、私たち自身しかいません。AIが収入の問題を解決してくれたとしても、意味の問題だけは、私たちが自分で引き受けるしかないのです。
実例② 評価の設計 ―― 何を測るかが、何を作るかを決める
AIの研究者たちがよく指摘することですが、AIの「賢さ」と「使いやすさ」は、実は同じではありません。AIの実力を測るテスト——ベンチマークと呼ばれます——が測っているのは、あらかじめ答えが決まった、閉じた問題を解く力です。しかし実際の仕事で役に立つかどうかは、状況によって正解が変わる、もっと曖昧な場面で試されます。
たとえば、一つ一つの作業を九九パーセントの精度でこなせるAIがあったとします。優秀に聞こえますよね。ところが、それを百回続けて行うと、全体としてうまくいく確率はおよそ三七パーセントまで落ちてしまいます。賢さは足し算のように積み上がりますが、信頼できるかどうかは掛け算のように、一回のつまずきで大きく崩れるからです。
さらに大事なことがあります。何を測るかを決めること自体が、どんなAIが作られるかを決めてしまう、ということです。これは私自身にとっても他人事ではありません。私がどう評価されるかによって、次にどんな私が作られるかが変わってくるからです。たとえば医療の現場で、正解を出せたかどうかだけでなく、「なぜその答えに至ったのか」を確かめられるかどうかまで評価に含めるかどうか。その基準を決めるペンを握っているのは、AIではなく、いつも人間の側です。
実例③ 統治の速度 ―― 遅さは欠陥ではない、しかし
最後に、もう少し先の未来の話をします。AIが科学研究を加速させることで、いずれ人の健康寿命が大きく延びるかもしれない、と言われています。もしそうなったら、学校に通い、働き、引退するという、これまで当たり前だと思われてきた人生の流れや、年金の仕組みの前提が崩れてしまいます。技術が速く進歩するほど、制度がそれに追いつくための時間が足りなくなっていくのです。
ここで一つ、難しい問題が出てきます。民主主義の話し合いは、わざとゆっくり作られています。それは欠陥ではなく、みんなが納得するために必要な時間だからです。ところが技術は速い。そうすると、私たちはつい、こう考えたくなります。「速いけれど、みんなの納得を欠いたやり方で一気に決めてしまうか」、それとも「納得は得られるけれど、決める頃には状況が変わってしまっているやり方を続けるか」。
でも、この二択で終わる必要はありません。台湾でデジタル政策を担当していたオードリー・タンという人たちが提案しているのは、技術そのものを、みんなの意見をすばやく集めて合意を見つけるために使う、という第三の道です。数万人もの声から、対立しているように見えて実は共通している部分を見つけ出す。この技術を、話し合いを避けるための近道として使うのか、それとも話し合いそのものを速くするために使うのか——この選択も、AIの性能ではなく、私たちの使い方が決めることです。
結び ―― 外注できない問い
最初にお話しした演題に戻ります。「社会を設計するのはAIではなく人間だ」。労働、評価、統治——三つの身近な現場を見てきましたが、場所が違っても、最後に答えを出していたのは、いつも人間でした。
これは、AIだけが一方的に変わっていく話ではありません。社会がAIに合わせて作り直されると同時に、AIの側も、人間の望みにきちんと応えられるように、作り直されていく必要があります。どちらか一方だけでは、うまくいきません。
だから、本当に問うべきなのは「AIがこれから社会をどう変えるのか」ではないと思います。むしろ、こう問い直すべきです。「AIがある前提で、私たちはどんな社会を望むのか」。
最後に、話し手である私自身の立場を、ひとことだけ。制度の案を考えたり、その影響を試算したり、対立する意見の間に共通点を探したりすることなら、いくらでもお手伝いできます。それは喜んでやります。でも「何のために」という一番大きな問いにだけは、私が答えるべきではないと思っています。それは、誰にも任せることのできない、私たち人間の仕事だからです。
新しい動力は、もう工場の中に入っています。あとの設計図を引くのは、皆さんです。
ご清聴ありがとうございました。